地熱情報研究所

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日本と世界の地熱開発の現状

以下では、世界およびわが国における地熱開発とくに地熱発電の簡単な歴史と現状について述べることにしましょう。それではまず、世界の地熱開発から始めます。

1.世界の地熱開発の歴史と現状

 古代ローマ帝国の市民は温泉を好んだと言われ、今でもその遺跡、たとえばカラカラ大浴場が観光名所として知られています。このような地熱利用の最も始原的な形である温泉利用は世界各地で行われてきています。そして、浴用だけでなく、調理用などとしても世界各地で利用されてきたことでしょう。しかし、この地熱エネルギー特に高温蒸気を使って電気を起したのはそれほど昔のことではありません。

地熱エネルギーから電気が生まれるまで

地熱発電を実現するためには、第一に、蒸気機関が発明されることが必要ですし、タービンの回転運動から電気を生じさせるための電磁誘導の原理を知らなければなりません。蒸気機関は18世紀半ば1765年にイギリスのワットによって発明されました。そして、電磁誘導の原理がファラデーによって発見されたのは1831年と言われています。エジソンの電灯の発明は1879年と言われています。電球(白熱灯)の本当の発明者はエジソンとは別の人で、エジソンは事業用に改良した人であるとも言われていますが、いずれにしても、電球が実用化されたのは19世紀の後半です。

そのような準備段階を経て、天然の蒸気を使って、世界で初めて地熱発電が行われたのが、1904年イタリア北部トスカナ地方のラルデレロでした。それまで、このラルデレロでは天然蒸気中に含まれるホウ酸の採取が行なわれていました。これも地熱利用の一形態です。この1904年の時の地熱蒸気タービン発電機の出力は0.75馬力であったと言われています。もうもうたる蒸気の中で、タービンを回し、世界で始めて電気を起したときの技術者ピエロ・コンティの気持ちはどんなものであったことでしょう。筆者も、出力1kWのマイクロ蒸気タービン発電機を製作し、火山地域の天然蒸気を使って発電実験を行い、実際に電灯がついたときは、ピエロ・コンティの実験から90年近くたっていることになりますが、その時の感動は今でもよく覚えています。

イタリアからニュージーランドへ、そして日本へ

さて、ラルデレロではその後、順調に地熱発電が進展し、第2次世界大戦中の1942年には総出力は12万kWを超えるまでに成長していました。しかし、残念ながら、第2次世界大戦の戦場になり、すべてが破壊されてしましました。ところが、歴史とは面白いもので、第2次世界大戦中にラルデレロに駐留したニュージーランド軍の兵士がこの経験を持ち帰り、1956年、ニュージーランド北島のワイラケイで世界最初の熱水型地熱発電所が立ち上がることになります。実はラルデレロは、地上で生産されるのは蒸気だけの蒸気卓越型地熱地域と言われ、蒸気をそのままタービンに送り込み発電を行うという簡単な方式でした。一方、ワイラケイでは、地上にもたらされるのは、蒸気と熱水が混合した気液2相の地熱流体で、このような地域は熱水卓越型地熱地域と呼ばれます。当時、熱水が含まれている地熱流体では地熱発電は行えないと考えられていましたが、ニュージーランドではセパレータといって蒸気と熱水を分離する機器を通すことによって、蒸気だけ取り出し、地熱発電が行えることを実証しました。このことは、当時、熱水卓越型地熱地域の大分県大岳地域で地熱発電を目指していた九州電力に大きな力になり、停滞していた地熱発電研究が再開され、1967年にわが国最初の熱水型地熱発電所として運転を開始したのでした。

地熱発電、世界に広がる

第2次世界大戦終了後、ラルデレロでは地熱発電が再開され、1956年にはニュージーランド・ワイラケイで熱水型地熱発電所が建設され、1960年には、アメリカ西海岸カルフォルニア州のガイザーズでも同国最初の地熱発電所が建設されました。一方、わが国最初の地熱発電所の建設は岩手県松川地熱発電所で1966年でした。松川地熱発電所は、ラルデレロ、ガイザーズと同じく、蒸気型の地熱発電所です。このように第2次大戦後、世界各地で地熱発電所が建設され始めましたが、その進展は遅々たるものでした。

第2次世界大戦後の世界の地熱発電の進展

図1に第2次世界大戦後の1946年から2010年までの世界の地熱発電設備容量の進展状況を示しました。これを見ると、世界の地熱発電は1970年代まではわずかな伸びを示しているに過ぎなかったのですが1980年代に入って急速な発展を示しています。これはいったいどうしてでしょうか。そうです。1970年代には2度のオイルショック(1973年及び1979年)が発生しました。オイルショックは、それまで安価で安定した供給が可能であった原油が、大幅に価格が上昇すると共に、供給の安定性は政治の安定性に大きく依存していることがわかり、世界各国は、エネルギー供給のリスクを考慮して、石油代替エネルギー開発を目指したことによるのです。

しかし、その後、原油価格が安定し、原油供給量が確保されるようになると、再び原油に目が向けられました。それに対応したように、地熱開発の進展も鈍っています。しかしながら、1990年代の後半以降、世界の地熱発電は再び上昇を開始しました。そして、2000年に入って一時停滞したように見えますが、再び増加し、2010年には世界の地熱発電設備量は1000万kWを超え、それ以降さらに、アメリカやインドネシアを中心に地熱発電所の建設が進み、2015年には1850万kWを超えると見られています。


図1 世界の地熱発電量の進展(Bertani,2010)

地球温暖化対策としての地熱発電とわが国の対応

このような世界の地熱発電の急激な進展は何によるのでしょうか。そうです。地球温暖化問題の顕在化です。それは、地球温暖化による地球環境の悪化を報告したIPPC(気候変動に関する政府間パネル)によるレポートは産業革命以後、世界の気温は確実に上昇し(100年間で約1℃)、その原因として、ほぼ化石燃料の燃焼によるものと断定し、この傾向が今後も続くことになれば、グローバルな気候変動を生じかねないとの警告を発しました。化石燃料燃焼による発電からCO2の出ない発電方式への転換が求められたのです。そして、地熱発電を含む再生可能エネルギー利用へと転換するか、あるいは原子力発電へ転換するかが求められたのです。 世界は、デンマークのように、石油以外のエネルギー、さらに、再生可能エネルギーへと舵を切った国々と日本のように原子力発電に舵を切った国に分かれました。地震活動や火山活動などの地殻活動が世界で最も活発にもかかわらず、狭い国土に多くの原子力発電所を近接して建設するというわが国の選択が福島第一原発事故を招いたことはご承知のとおりです。また、地熱発電という観点からすると、オイルショック後、一時期、わが国は地熱開発に力を入れましたが、1990年代以降消極的になり、一方、原子力発電を大きく伸ばし、わが国総発電量の30%を超えるまでになりましたが、地熱発電はわが国総発電量の0.3%に止まってしまったのです。

2.わが国の地熱開発の歴史と現状

第2次世界大戦前までの地熱発電の歴史

さて、前節では世界の地熱発電の歴史の中で、わが国の地熱発電にも少し触れましたが、改めてわが国の地熱開発の歴史をたどってみましょう。わが国は、世界でも、もっとも温泉に恵まれ、かつ国民が世界中でもっとも温泉好きであることは間違いないでしょう。したがって、わが国でも古くから温泉が人々に親しまれてきました。温泉に関する記述で一番古いと言われるのが、一説には3000年の歴史があると言われますが、西暦720年に完成したと言われる日本書紀には四国愛媛県の道後温泉のことが記述されています。また、共同浴場になっている道後温泉本館の建物はいかにも歴史を感じさせる荘厳なつくりで、国の重要文化財に指定されており、道後温泉に行かれた方は記憶にあることと思います。

このようにわが国では古来より温泉が好まれ、その趣向は歴史が変わっても営々と引き継がれていると言えます。しかし、わが国では、地域によっては、部屋の暖房に使われたり、野菜や肉の調理等に使われることはあっても、それを電気として使うことにはあまり目が行かなかったようです。そのような中、大正7年海軍中将山内萬治氏は、大分県別府市の地獄で掘削を行い、蒸気噴出に成功し、わが国地熱研究のさきがけとなったのです。しかし、その後、山内氏は病に倒れ、地熱研究は進みませんでした。そのような中、山内氏の後を引き継いだのが、東京電灯(株)研究所長太刀川平治氏で、大正14年(1925年)出力1.12kWの日本最初の地熱発電に成功しています。イタリア・ラルデレロでの世界最初の地熱発電成功に遅れること21年でした。

太刀川所長は「地熱發電ノ研究」という記録を残されていますが、その中で、諸外国における地熱発電の現状を調べ、そして、当時のわが国の電力事情を考え、当時水力発電が主流であったが、遠からず不足を来たすとの見通しから、新たな電力開発の必要性を説いています。そのため、さらなる水力発電開発の必要性を述べると共に、保有資源量から見て、火力発電には重きをおかず、むしろわが国に豊富に存在する地熱資源に注目し、その研究を始められたものであり、現在の時点から見ても、極めて先見性があった研究者と言えるでしょう。その後、わが国の地熱研究はほそぼそと続けられたようですが大きな発展はなかったようです。終戦直前の1944年には、静岡県賀茂郡南中村で、九州帝国大学の山口修一・小田二三男博士が地熱研究のため掘削を計画しましたが、掘削機械を軍に接収され、実験は行なわれなかったとの記録があります。

第2次世界大戦後の地熱発電の歴史

終戦後、わが国は電力事情に悩まされました。結果的には石炭の増産がなされ、電力への大きな貢献をすることになったわけですが、地熱資源に恵まれているわが国ですので、当然地熱発電も注目され、日本各地で地熱発電の適地が調査されました。そのような中で、1947年から、地質調査所により、地熱研究が開始され、1966年岩手県松川地熱発電所が蒸気型地熱発電所としてわが国最初の運転を開始し、そして翌年1967年大分県大岳地熱発電所がわが国最初の熱水型地熱発電所として運転を開始したのでした。この2つの地熱発電所の運転開始はわが国の地熱研究者・技術者に勇気を与え、その後、各地で地熱発電のための調査が行なわれましたが、地熱発電所の建設までには至りませんでした。

オイルショックにより国は地熱発電に積極的に

そのような中で、1970年代に2度のオイルショックに襲われたのでした。このためわが国政府は石油代替エネルギー政策を立案し、サンシャイン計画というプロジェクトのもと、太陽光、石炭液化、水素、そして地熱の4つを中心に、研究開発を開始しました。この1980年代から開始されたサンシャイン計画により、わが国の地熱に関する調査研究は大いに進展し、わが国には発電量に換算して2000万kWを超えるポテンシャルが存在することを明らかにするとともに、資源探査技術あるいは掘削技術等が進展し、世界有数の地熱発電技術を有する国となりました。図2に1966年以降2008年までの、わが国の地熱発電設備量の変化を示しています。サンシャイン計画の成果は1990年以降の地熱発電所の増設に反映されています。1995年には、総設備出力は約54万kWとなり、世界第5位の地熱発電大国になりました。

一転、国は地熱エネルギー消極策へ

しかしながら、1990年代に入ってからの、石油価格の安定化あるいは、国のエネルギー政策が原子力発電に傾斜したこと、さらには地熱発電に対する消極的政策(新エネルギーの枠から外れたり、再生可能エネルギー導入のための優遇策であるRPSの対象からも外れたこと、さらには、調査研究開発費が大幅に削減されたことなど)の中で、わが国の地熱発電は一定の進展はしましたが、1990年代の半ば以降、長い足踏みの時代を迎えざるを得ませんでした。2012年8月年現在、総設備出力はほとんど変わらず、世界の地熱発電設備量ランキングも、インドネシア、ニュージーランド、アイスランドにも抜かれ、世界第8位に転落してしまいました。発電に換算して2000万kWを超える、世界第3位の地熱資源大国である日本ではなぜ地熱開発が進まなかったのでしょうか。次節では、それについて述べましょう。


図2 わが国の地熱発電設備容量の変化(火力原子力発電技術協会、2009)

3.わが国の地熱発電発展を阻む3つの足かせ

「恵まれた資源量はあるが、それを地熱発電所建設に活かせていない。」 一言で言えばこれがわが国の地熱開発の現状です。開発可能な資源があり、そして、適切な発電コストが設定されれば、地熱開発は進んでいくと思われます。しかし、現実にはそうなっていません。わが国の地熱発電の発展を阻むのは何でしょうか。阻害要因として3つがあげられると思います。それらは、発電コスト問題、国立公園問題、温泉問題と言われるものです。

発電コスト問題

まず1番目に挙げられるのが、発電コスト問題です。経済産業省の発表では(1999年~2003年の平均値)、1kWhあたりの発電コストは、石油火力=10.2円、石炭火力=6.5円、原子力=5.9円、水力=13.6円、太陽光=66-73円、風力10-23円、地熱13-16円となっており(なお、このようなコスト評価は必ずしも公平なものとは言えません。化石燃料の大きなCO2排出は考慮されていないし、原子力発電では高レベル放射性廃棄物の処理費等が含まれていないのです。また、福島原発事故以降、各種の経費を考慮すると、原子力発電のコストは上述の5.9円を大幅に超えることが指摘されています。2011年12月現在、これらの2倍になる数値が試算されています)、地熱発電は、石炭火力発電あるいは原子力発電の2倍を超えています。電力自由化の中、地熱発電が選択される余地は少なかったのです。これに加え、地熱は新エネルギーの枠からもはずれ、国による各種の支援策は後退し、さらに、再生可能エネルギーの促進を目指したRPS制度でも、通常の地熱発電は除外されたのです。このような状況では地熱発電の発展は望むべくもないと言えるでしょう。

全量固定価格買取制度の導入

コスト問題の解決は、根本的な解決策とは言えないまでも、2012年7月1日から実施されることになった固定価格全量買取制度(FIT制度)に大きく期待がかけられます。

政府は、エネルギー種別ごとに、買取価格を決定しました。その結果、地熱発電の場合、設備容量1.5万kW以上の場合、1kWhあたり、27.3円(買取期間15年)、1.5万kW未満の場合、42円(買取期間15年)となりました。これは現在における発電コストに企業の適正な利益を加えたものですが、条件の良い地熱地域では発電所建設に向かうことのできる買い取り価格であり、地熱発電所建設の環境が整えられたと言えるでしょう。なお、地熱資源の場合は、他の再生可能エネルギーに比べ、地下資源という特性から、資源量評価におけるリスクが存在しますが、これについては、平成24年度から、経済産業省による支援策が準備されています。

国立公園問題

次の問題は、国立公園問題です。すでに示した資源量2347万kWeのうち、81.9%が国立公園特別地域に含まれ、現状では国立公園内に地熱発電所を建設することができません。これに関して、平成22年6月18日、「地熱発電が自然公園の環境保全に及ぼす可能性については、既に昭和47年通達における(国立公園内)6地点で長期にわたり操業しているが、問題は発生していないという事例を以って、証明が可能である」と規制・制度改革に係る対処方針が議論されています。昭和47年通達とは、当時、国立公園特別地域内で、すでに建設あるいは調査が進んでいる地域が6カ所あったのですが、当時の通産省と環境庁が今後は国立公園内では発電所を建設しないことを十分な議論もせず取り決めてしまったようなのです。一説によると、当時国立公園内で進められている発電所建設計画をともかく通すために、このような取り決めがなされたと新聞でも報道されています。目の前の目的実現のために、大きな禍根を残したとも言えます。そのようなことはありましたが、地熱発電所建設技術は進展しており、自然環境に十分配慮し、自然環境に十分マッチした地熱発電所を建設することができるようになってきており、世界各国でも優れた自然景観にマッチした地熱発電所が建設されているのが現状です。

上記のような状況の中、環境省も規制緩和の検討をはじめ、当初、国立公園特別地域外か ら特別地域内への掘削いわゆる斜め掘りを認めるとの見解が出されましたが、それは無い よりはましであるが、実質的な意義は極めて限られていることから、批判が起こり、さら に以下のように方針が変更されました。すなわち、環境省は、国立公園特別地域(2種・3 種)における掘削・地熱発電所の建設を認めることにし、認めるにあたって、自然環境へ の影響を最小限にするという条件を付けました。具体的には、自然環境の保全と地熱開発 の調和が十分図られる優良事例の形成について検証を行うこととし、そのため、以下に掲 げる特段の取り組みが行われる事例を選択し、掘削や工作物の設置の可能性について、個別に検討する としています。具体的条件として以下の5つが挙げられています。

  1. 地域協議会など、地熱開発事業者と、地方自治体、地域住民、自然保護団体、温泉事業者等などの関係者との地域における合意形成の場の構築
  2. 公平公正な地域協議会の構成や、その適切な運営等を通じた地域合意の形成
  3. 発電所の建屋の高さの低減、蒸気生産基地の集約化、配管の適切な切り回しなど、当該地域における自然環境、風致景観及び公園利用への影響を最小限にとどめるための技術や手法の投入、そのための造園や植生の専門家の活用
  4. 地熱開発の実施に際しての、地熱関連施設の設置に伴う環境への影響を緩和するための周辺の荒廃地の緑化や廃屋の撤去等の取組、温泉事業者や農業者への熱水供給など、地域への貢献
  5. 長期にわたる自然環境や温泉その他についてのモニタリングと、地域に対する情報の開示・共有

といった条件を満たす場合に限って、容認する方針となっています。しかしながら、具体的な審査基準等が明確にされているわけではなく、環境省の裁量の範囲で行われる可能性があります。したがって、審査基準等が透明化され、公正な判断がなされるか見守っていく必要があると思われます。

温泉問題

3番目の問題は温泉問題です。これは、地熱発電が行われると、温泉に悪影響が出る可能性があるということで、温泉関係者から地熱発電所の建設に反対意見が出され、発電所建設が進まないというものです。しかし、これまでわが国では18ヵ所の地熱発電所が建設され、長いものでは45年を超えて発電を行っていますが、一個所として、温泉の営業ができなくなるような影響を与えた例はありません。また、5章で述べましたように、現在の地熱発電は長期間安定した発電を目指すいわゆる持続可能な発電を目指しており、地下における地熱流体の収支がバランスするように発電を行っており、このような手法は温泉の持続的利用をも保証するものでもあります。温泉利用と地熱発電利用は、相容れないものではなく、両者が成り立つ共生は十分実現できると考えられます。

この問題に関しては、2011年10月~2012年3月にわたって、環境省に設置された検討会で検討され、最終的に、2012年3月、「温泉資源の保護に関するガイドライン(地熱発電関係)」が作成され、都道府県に通知された。このガイドラインは本来、温泉法における許可の柔軟化・早期化を目的として、掘削許可に関する目安を示すことにありましたが、趣旨が明確に伝わらず、都道府県によっては掘削許可が以前より後退したものが見られており、環境省から都道府県関係者に趣旨の徹底をすることが必要と思われます。

4.わが国地熱発電展開の兆し

前節でも述べましたように、わが国の地熱発電開発は1999年に東京電力八丈島地熱発電所(設備出力3000kW)が運転開始した以降、新規地熱発電所の建設は2000年以降なく、長く停滞の時代が続いてきました。 地球温暖化問題そしてエネルギー問題が次第に現実化する中で、わが国の地熱発電関係者は地熱発電の重要性を広く訴えるなかで、担当省庁である経済産業省にも地熱発電の促進を訴えてきました。そのような中で、2008年には経済産業省資源エネルギー庁に地熱発電研究会が組織され、わが国の各分野の地熱関係者が参加し、熱心な議論がなされ、問題点の抽出、解決のための道筋、および当面の開発可能量等が取りまとめられました。しかし、残念ながら、従来からの国の地熱開発政策を変えるところまでには至りませんでした。そして、3.11東日本大震災・福島第一原発事故が起こった後の4ヶ月経過程度までは、国の地熱政策には一切変更なく、従来の消極的政策のままでした。しかし、福島第一原発事故に伴う再生可能エネルギーへの転換の流れ、および、個人・団体による種々の努力が実り、震災発生4ヶ月目以降になって、国の地熱開発政策が抜本的に変わり始めました。従来の消極策が積極策に転換されつつあるのです。

電力・ガス事業部 電力基盤整備課から資源・燃料部 政策課へ

新たにわが国の地熱開発政策を担当することになった経済産業省資源エネルギー庁資源・燃料部が中心となり、次のようにわが国の地熱を位置づけ、今後、積極的に地熱発電を進めることになったのです。すなわち、 「我が国のエネルギー需給構造の課題や現下のエネルギーを取り巻く状況を鑑みれば、環境適合性に優れた長期固定電源の開発は喫緊の課題であり、中でも、安定供給が期待され、かつ純国産エネルギー資源である地熱資源の開発を早急に進める必要がある。」(平成23年12月20日)と明確に地熱開発を進める姿勢が打ち出されたのです。

福島県をはじめとする新たな政策展開へ

今回の東日本大震災・福島第一原発事故では東北地方太平洋岸の岩手・宮城・福島の3県が特別に大きな被害をこうむり、特に、福島県は震災に加えて、原発事故による大きな放射能被害を受け、疲弊し、復興のためには、国の強力な支援が必要な状態になっています。そのような復興の起爆剤の1つとして、被害地域で再生可能エネルギーの開発利用を積極的に進める計画が立ち上がりつつあります。東北地方は火山も多く、わが国でももっとも地熱資源に恵まれています。実際、既存の地熱発電設備量の約6割は東北地方にあるのです。これまでも全国的な規模の地熱資源量評価の中で、東北地方の地熱資源量が評価されていますが、今回、東北地方の地熱発電開発を積極的に進めるために、新たに資源量が精査されるとともに、開発利用に向けた動きが始まりました。

福島県における地熱開発と国立公園問題・温泉問題

特に、福島県においては、有望地域の抽出が行なわれ、地熱発電所建設に向けた具体的な作業が進展しつつあります。大いに期待したいと思います。実は、福島県の場合も、有望な地熱資源は国立公園内に多く眠っています。自然公園の景観に適合した地熱発電所が建設されることを期待したいと思います。これについても経済産業省は、
「自然公園法等の規制がこれまで地熱資源の開発を妨げる要因となっているため、環境省などの関係省庁との調整を進める。また、地域の温泉事業者や自治体とも連携し、着実に事業を推進できるように関係構築を図る。」(平成23年12月20日)と積極的に調整に乗り出すことを表明しています。以上の経済産業省の地熱政策の転換が、日本列島に眠っている膨大な地熱資源を、地球温暖化問題そして、エネルギー問題の解決に有効に活かすことができるよう心から期待したいと思っています。

温泉バイナリー発電の新しい展開

また、別の新たな兆しも見られます。前節でも述べましたように、「温泉問題」は依然として未解決ですが、温泉地によっては、大きな進展が見られる例が増えています。温泉の中には、浴用に適温の40℃程度よりはるかに高温で、100℃程度の高温の温泉がたくさんあります。わが国の温泉には火山性のものが多いからです。現在の温泉利用はほとんどが浴用ですから、高温泉は何らかの方法で冷やす必要があります。これまで、草津温泉や別府温泉では、わざわざ人工的に冷やす工夫を行なってきました。これは全くもったいないとしか言えません。地球の恵みをむざむざ捨ててしまうのです。そこで、この高温温泉の利用法として温泉バイナリー発電が発展しつつあることを前に記しましたが、これらが温泉地で具体的に始まりました。

実証試験の開始

新潟県の松之山温泉では50kWの温泉バイナリー発電装置を設置して、実用化に向けた実証実験が2011年12月半ばに始まりました。初めての経験ですからいくつかのトラブルは生じるかも知れません。しかし、それを克服してできるだけ早い実用化を目指して欲しいものです。長崎県雲仙市の小浜温泉でも、2012年から出力70kWの温泉バイナリー発電装置3機を使って、実証試験が行なわる予定です。

なお、温泉井の中には、井戸口から勢いよく蒸気・熱水を噴出するものがあります。この蒸気・熱水の運動エネルギーを直接電気エネルギーに変えようとする発電方式が湯煙発電です。温泉井から噴出する蒸気・熱水で衝撃型のペルトン水車を回し、さらに、蒸気によってタービンを回すのです。現在、大分市のメーカー「ターボブレード」が別府温泉で、1kWのペルトン水車と1kWの蒸気タービン(復水式)を備えた装置により、実験を行っており、数年後には出力50kWの実用機の完成を目指しています。

これらを含め、成功例があちこちから発信されることにより、さらに日本各地の温泉地に拡大されることを期待したいと思います。温泉関係者が自ら発電を行い、発電に対する理解が進めば、本格的な地熱発電への理解も進むことにもなるでしょう。以上2つの温泉バイナリー発電実験はいずれも環境省の事業であり、環境省も再生可能エネルギーの促進にいろいろと努力していることがわかります。環境省ではさらに、実際の温泉地(地熱発電のある八丈島や静岡県南伊豆町)において、温泉に影響を与えない地熱発電を実現するための実証実験も行なっています。

わが国地熱発電の新しい展開の兆し

一方、民間の動きも活発になり、現在、日本全体の10数ヶ所で地熱発電を目指した調査が始まっています。秋田県湯沢市にある山葵沢地域では出力42000kWの本格的な地熱発電所建設に向かっての環境影響評価が始まりました。順調にいった場合、2020年には新しい地熱発電所が運転開始を迎えることになります。環境影響評価等が従来のやり方のままであると、この程度の時間がかかってしまうことになります。震災復興に合わせて特区制度等を導入したりして、できるだけ早く地熱発電所の運転開始にもって行きたいものです。多くの原子力発電所の再開が困難な状況を考えると、知恵を出し、工夫することが必要であると思います。 以上見てきましたように、1990年代半ば以降停滞期にあったわが国の地熱発電ですが、東日本大震災・福島第一原発事故以降、新たな流れが生じており、2012年には目に見える進展を期待したいと思います。太陽光発電、風力発電、バイオマス発電、中小水力発電等もそれぞれも進展し、再生可能エネルギー全体として、目に見える貢献ができる日が来ることを心から願っています。

(2012年8月15日)

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